話のネタ

ヌードモデルはいつ生まれたの?

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ヌードは好きですか?

 

 

 

今では本だけじゃなくインターネット場でも見る事が出来るヌード

 

女性モデルだけじゃなく男性のヌードモデルもあります。

 

その歴史

 

初めてのヌードモデルはいつ生まれたんでしょうか?

 

幕末から明治初年にかけて

 

日本にやってきた外国人は日本人女性のヌードをたくさん撮っていたそうで

 

そのモデルは大抵が水商売の女性たちだったそうです。

 

慶応ごろに出版された

 

『春窓情史』

 

と言うポルノには

 

椅子に座った女性をカメラで撮影している図があって

 

本邦初のヌード写真撮影風景とされています。

 

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ヌードが芸術であると言う認識は

 

ようやく明治20年ごろに始まりました。

 

中でも洋画界の先駆者黒田清輝はどんどん裸体を描いたそうです。

 


黒田 清輝(くろだ せいき、1866年8月9日(慶応2年6月29日) – 1924年(大正13年)7月15日)は、日本の洋画家、政治家。位階は従三位。勲等は勲二等。爵位は子爵。通称は新太郎(しんたろう)。名の清輝は、本名は「きよてる」だが、画名は「せいき」と読む。教え子からは「メートル(先生)」(maître)とフランス語で呼ばれた。
東京美術学校教授、帝国美術院院長(第2代)、貴族院議員などを歴任した。

引用先:wikipedia

 

その中の一枚

 

「朝粧」

 

と言う絵を28年の博覧会に出すと

 

風俗壊乱と騒がれて

 

主催者側は黒のバタフライで絵の一部を覆ったそうです。

 

そんな調子だったので

 

美術学校でもモデル探しに一苦労していて

 

東京にたった一軒しかなかったモデル問屋の宮崎キクと言うお婆さんは

 

道を歩く時には目を皿にして「あの女!」と目星をつけると

家まで尾行して口説き落とそうとしました

十中八九失敗していましたが

たまに1日1時間で三円と言う報酬に連れられて承知する人が居たそうです。

 

そうすると美術学校へ連れて行ったそうです。

 

 

ですが今度は学校が

 

モデル台へ立たせるまでに一苦労で

 

「アトリエは神聖なもので、画家や書生は美の神であるから、いやらしい考えなどクスリにしたくともない」

 

と説教した上で、台に立たせますが

 

モデルは直立不動の姿勢のままだったそうです。

 

そこでモデルを壁の方へ向けて立たせ

 

ポーズをとらせてからクルッと台を前へ回してしまう。

 

無理に手を取ってポーズをとらせると

 

女性は反抗することもなくそのままになってしまいます。

 

日露戦争前後には

 

少しづつ志望者も出初めて

 

明治末年ごろにはたいていの需要に応じる事ができたそうです。

 

3時間で四五銭と言うのが相場でしたが

こうしたモデルの中にはやがて堕落して夜の女になる者もあったそうです。

 

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戦前の日本では

 

こうした一部の社会を除いてヌードは公認されていなかったので

 

いかがわしい興味で見られる他なかったそうです。

 

戦後は二十一年一月

 

新宿の帝都座で当時18歳の少女甲斐美和」が額縁の中で全裸を公開したのが第一号だそうです。

 

当局のお達しに従って

 

1分間動かずに見せるだけでしたが

 

連日押すな押すなの大盛況で

 

その場面になると客席は一瞬シーンと静まり返ったと言います。

 

今も昔も女性の神聖さは静かに見ると言う事なんですね