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最近でも増えてきたお見合い結婚ですが昔は…!?
少し前まではお見合いという言葉はほとんど出なく
結婚に至るまでの流れは
会社内や友人の紹介、サークルなどでの出会い
合コンやナンパなどなどがありましたが
お一人様が楽しめる時代でなかなか出会いが少ないですよね?
ですがやはり出会いたい結婚したい!方はたくさんいらっしゃいます!
ここ最近だと婚活ブームなどで
お見合いの相談所やパーティー、見合いサイトまでありますよね!
ではこの見合い
一体いつ頃から行われていたんでしょうか??
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実は
昔は原則見合いなしでの結婚だったんだそうです!?
ちょっと驚きですよね?
顔を見ることなく「〇〇と言う人と〇日に結婚する事になったから」
などと伝えられて結婚式に
式の最中もお互いに顔をまじまじと見ることもできないので
初めて顔を見ることができるのが
綿帽子を取って床に入ってからだったようで
人違いではないかとびっくりすることもあったり
思いのほか美人で有頂天になって喜んだりしたそうです。
そして事実確認がなかったので
婚礼の前に花嫁がすり替わっても花婿にはわからなかったそうです。
今では考えられないくらい怖いですね(笑)
見合いの始まりについて
江戸文化・風俗の研究家の三田村 鳶魚さんは
「江戸では、公然と武士が見合いをするようになったのは、天保以後(1830〜)出会ったと言う」
と書かれていたそうですが
実際はもっと古くからあったようです。
貞享4年(1687)刊の「三世相性枕」と言う
菱川師宣画の枕絵本に
仲人が「いつのいく日、物詣りにことよせ、たがひ、見へつみへられつ」をさせようと
浅草寺参詣にどちらも供人を連れて美しく出で立ち
仲人と共に行来の人たちに紛れて見合いする風景が描かれています。
貞享は元禄の一つ前の年号ですが
その頃から江戸でも武士の見合いがあったようです。
上方では元禄以前から
盛んに町人たちの間で見合い結婚をする風習があったようで
江戸でも早くお見合いの風習が入ってきたのかもしれません。
ちなみに
現代の和風結婚式で花嫁が綿帽子を被らず
角隠しをするのは心の角を隠す意味からで
江戸時代には夫人が仏参りや墓参りをするときの被り物でもあったそうです。
かんざしや笄(こうがい)を角といい
それを覆い隠す被り絹であったところから角隠しと言いました。
と言うことで江戸時代の角隠しは
現在の綿帽子よりも幅が広かったそうです。
時代はまた巡ると言いますが
顔が見れないお見合いだと現代では大変な事になってしまいますね。