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相撲の番付や土俵は
東西に分かれていますが
もともと番付や土俵を東西に分けたのは江戸時代初期の事なのです。
このときは力士を出身地によって二分して
近江国(現在の滋賀県)以東を「東方力士」
以西を「西方力士」と呼ぶようになりました。
また江戸時代以前は
東西ではなく左・右と呼ばれていて
平安時代の1年を占う節会相撲(せちえずもう)では
「天子、北を背にして南面す」
の故事により
まず正面を決めて北として東を左、西を右としていました。
そして左が勝てば
田の幸、海の幸が大量豊作
右が勝てば
畑の幸、山の幸が豊年満作とされていました。
現在は力士の出身地に関係なく
番付は前場所の成績順によって決められていて
東方の力士が上位になっています。
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